Sound Cloud DTMオリジナル&昔考えたことメモ

時折見かけるSoundCloudというサービスで試験的にアカウント作成してみた。SoundCloudってサービスをちょっと見てみると、世界中からクオリティの高い楽曲が投稿されている。(違法アップロードもあるようだけど)こういうプラットフォームがある時代だと自己表現の幅もひろがるだろうと感じる。

20年近く昔、DTMに挑戦したときに作ったオリジナル曲を使いながら当時考えたことをメモしていく。当時、将来は音楽業界で働きたいなと空想しながら、どういうものが売れるのかと色々考えたり調べたりしていた。最初は楽器の演奏から始めたが、だんだんと興味が、作曲→アレンジやミックス→最後はどういう人間性が売れるのか?という風になってしまった。

ちなみに今は完全にDTMは辞めてしまい、楽器も手元にないので記憶のみ。専門の教育は受けておらず個人的な経験による。

主にリズムを軸に90年代の楽曲についての色々

楽曲を作りながら考えていたこと。90年代の音楽の特徴。

ギターとか自然にバッキングすると、だいたい2拍目と3拍目をシンコペーションさせるのが自然で、それが一般的なポップスのリズムだった。

90年代で大流行したのが1拍目と2拍目をシンコペーションさせるリズム。基本となったのが、付点八・付点八・付点八・付点八・八・八というリズム。また、半小節単位でコードを変えたりするに、付点八・付点八・八・付点八・付点八・八や、出だし2拍分を強調するために四・四・付点八・付点八・八というのもあった。

こんな感じ。出だしのサビの部分。コテコテな90年代風。

これは普通のピアノだけど、当時、硬めのピアノ(JD)でバッキングしていた曲が多かった。

組み合わせには色々なパターンがあって、最初に八をおいて残りを付点八にしたり、付点八を部分的に八+十六に分解して混ぜたり、テンポが遅ければ、付点八の部分を全て、八+十六に分解しても使えた。

例えば、この曲のサビ部分のベース。

スネアを時々シンコペーションさせているのは後述。

90年代後半ぐらいからR&B(楽曲の実際はR&Bという感じではないけど何故かそう呼ばれた)という言葉とともよく出てきたのが、1拍目と3拍目に強調するように、2拍目4拍目の十六後ろにリズムをとるパターン。1拍目と3拍目を強調するのは普通だけど、テンポが遅くても、付点八・付点八・付点八・付点八・八・八に近いリズムを得られるのが特徴。基本は八・付点八・付点八・八・付点八・付点八。

例えばこんな感じ。

こういう感じの暗さはハーモニックマイナースケールで演出されていることが多く、音源もスクラッチが入っていたりした。

みんなが散々付点八をいじくり回してくると、2拍目のスネアと最初の付点八を合わせて見たり(2拍目のスネアが十六シンコペーション)する楽曲なんかも出てくる(当時、幾つか聞いたけど、今はこういう感じはまったく無い)

例えばこんな感じ。

この楽曲は4度上げ+1度下げの連続で、哀愁漂うコード感。このコード感は聞くと直ぐに分かる特徴がある。

ちなみに普通っぽいリズムでテンポ上げるとこんな感じ。

サビ前にサスを持ってくるのも定番。

当時4つ打ちなんて表現も多かったけど、あえてシンコペーションさせずに全ての拍を強調するような楽曲もあった。実際ダンスサウンドっていうイメージにはこちらの方が近いかもしれない。

例えばこんな感じ。

付点八を多様する楽曲で多かったのが、メロディもそのリズムを追随している感じ。付点八自体がリズムが強いので、リズムはそのままコード感で頑張るって感じだったと思う。

ちょっと極端だけど、例えばこんな感じ。

楽曲的にはブレイクでのタムを回し、ストリングでカウンタメロ入れたかった。

付点八分系の楽曲で一番重要な点

ここまでこの付点八分系の楽曲として、ベースとかドラムで説明したけど、実は一番重要なのはメロディで、メロディが付点八分のリズムになっていれば、カラオケのリズムパートはそれほど重要ではない。実際カーオーディオとかで聞かれていてカラオケのパート何んてほとんど聞き取れない。逆にカラオケのリズムパートが付点八分でも、メロディが八分の連打とかではダメ。

メロディについてザックリで言うと、フレーズの終わり際にシンコペーションするのは昔から結構あるけど、フレーズの最初の方で十六でシンコペーションする感じは90年代ぽい。体感のリズムは4分の4つ打ちで、メロディがくっている気持ち良さという感じ。

この付点八って、原始的な踊りに使われるような楽曲の根底にあるので、それを上手くポップスに組み入れて大流行しって感じだと思う。元々80年代ぐらいから一部このリズムを上手く取り入れた楽曲もあって、90年代は意識的に付点八を多様していたと思う。

ある時期から、付点八が飽きられてしまって(というより流行りすぎてしまってみんな避けるようになって)そのままフェードアウトしてしまったけど。

転調やビートについて色々

当時の音楽を転調文化とか、特定のコード進行で指摘する人が多いけど、持論ではリズムが重要だと思う。ちなみに転調って意識してやってもなかなか上手く行かないけど、コツがあって、転調するとき、楽曲の基本リズムを変えることと、アレンジのボリュームを変えると上手くいく。

例えば、付点八・付点八・付点八・付点八・八・八のリズムでAを作ったら、Bで、付点四・付点四・四とかのリズムに変えて、バッキングをなくすとか。

当時打ち込み系の人って、自分である程度アレンジまでしてたので、自然と転調しながら(転調してしまって)楽曲を作る人が多かったのかなと思う。

ビートについてよく、16ビート、8ビートの違いで16ビートは十六でハット刻む、8ビートは八でハットを刻むような説明があるけど、あれだと説明不足。違いの重要な点はシンコペーションの単位で、八でシンコペーションするか十六でシンコペーションしているか。

楽曲には疾走感みたいなものがあって、例えば、前述のような付点四・付点四・四のリズムだと八でシンコペーションしているので、どんなにテンポを上げても疾走感は少なく感じるし、逆に、付点八・付点八・付点八・付点八・八・八の場合は、十六でシンコペーションしているので疾走感を多く感じる。

付点八を八+十六に分解するのに、十六+八に分解しないのは内部にシンコペーションの理屈があるから。

スケールやコードについて

譜面で#や♭が付くけど、あれの覚え方。(参考書だと5度とか4度)

#はファ・ド・ソ・レ・ラ・ミ・シ
♭はシ・ミ・ラ・レ・ソ・ド・ファ(#の逆)

で付いていく。

#でメジャー系なら、そのキーの全音下が半音になるまで#を付けていく。
例えば、Aなら、ソを#させるまで、ファ・ド・ソとなって#が3つ。

♭でマイナーなら、6度が半音になるまで付いていく。
Cmなら、ラを♭させるまで、シ・ミ・ラという感じ。

転調とは別に、#と♭は前後一つの増減は同一スケールの中でも多様できるし、結構曖昧に使われる。

例えばCm7で始まる曲だけどスケールはEmで作っていて、テンションというより実際はEmOnCのようなもの。あるいは、Fから始まるけど、シを♭させずに、Amのスケールにしてる曲。(よく聞くのはF-G-Amだけど)

またマイナースケールにメジャーを混ぜるのがブルースとかで使われる。メジャーとマイナーで移動するキーの部分が、そのらしさを作る。例えばCmでいうと、ミとミ♭が移動したとき。

スケールとコードは表裏一体なので、前述のハーモニックマイナースケールは、コードでも考える必要があって、6度のコードをマイナーにしたと考えると、AmキーでFmという感じ。そうしないとスケール使うとき不協和音になってしまう。

アレンジについて

サビで盛り上げる時に、キラっとした音を入れるというのは有名。ただ、コードとメロディだけで聞いても十分に盛り上がっていない楽曲にいくらキラキラさせても無駄。キラキラ以外だと、サビでベースを動かすのは効果的。あとパートを増やすのも効果的。

コンプしても潰れづらいのは、倍音の多いサンプル音源。または意図的に波形の頭を潰したような音。

音圧を稼ぐことの重要性は、聞いて迫力が出るというものもあるけど、TVとか流れたとき、音圧の低い環境音から切り替わった時に注意がひきやすくなる。

ボーカルの無い部分、イントロ、間奏なども何かしらメロディ(自然と耳が行く音)が必要。シーケンスのような音色でも何でも大丈夫。

人物像・自分自身を商品として売れる人

普通はある程度の年齢で諦めてしまうので、諦めないほどにその目標が自己のアイデンティティの一部となっていること。それを原動力とする情熱。

持って生まれた対人的な振る舞い。小さい頃から集団の中でのポジションや人に与える影響力の強さには個人差がある。

どのような形であれその業界に入り込んでいて選択肢の中に入っている。どんなに才能があっても選択肢に入っていなければダメだし、その選択肢というのは結構採用側から見える狭い世界。で、特にこれが重要な気がする。少なくても他の条件にくらべて自分次第という部分でもある。

考え方、性格で何かしら突出している。どんなに容姿が良くても、いわゆる普通の人だと長期にわたって自分自身を商品とする世界にいない。

商品として未完成はダメ。磨けば光るはダメ(特に自分で思ってては)。誰も磨いてくれないし、足りない部分を補ってはくれない。例え荒削りであっても商品として完成している必要がある。

魅力の源泉は意識できない。例えば意識して良く見せようとした場合、結果よく見えるから魅力があるのではなく、よく見せようと考える意識から魅力がにじみ出てきているようなイメージ。

コイントスと同じようにかならず評価される(成功)人間はでてくるし、評価されなかった人間は誰も知ろうとしないので、努力、才能と同じぐらいの割合で運も必要だろうと思う。

作品が伴う世界の場合、特にアートよりの世界の作品は、作品の品質で売れる売れないは決まらない。作った人間や、作品にまつわるストーリーが必要。それは人為的の場合もあるし偶然の場合もある。

微細な表情の変化等を含む容姿は精神を表している。例えは悪いが精神疾患が与える影響を考えると分かる。なので、写真だけでは魅力の一部しか確認できない。

魅力の一つは自分に無いものを持っているかどうかだと思うので、少し家庭環境が悪い方が魅力的になる。悪さの定義は難しいけど、完璧な家庭環境では突出した部分ができない。

人について演出

以前の記事で「メディアサイトが個人ブログと違う点は、想定した読者がいること、そしてその読者が読みたいものを提供しているかどうか。」と書いたけど、それは人の演出(キャラ作り)にも言える。

例えば、ロックの雰囲気で演出(キャラ作り)されたモデルのような美形の人は、ロックの雰囲気&美形の人が好き、という人には受けるけど、本当にロックを求める人には受けない。(さらに美形というのは大体必須条件なので、ここだとロックの雰囲気だけの人ってことになってしまう)

演出(キャラ作り)がオプションのように選べると感じさせてしまっているけど、持って生まれた本質的な部分は変えられないので、どのように提供できるのか、それに需要はあるのかと考えるべき。

ビジネス側として考えてみる

楽曲の魅力と人の魅力の2つが重要だけど、仕事として考えるなら人の魅力が圧倒的に重要で、人で売れるなら楽曲は駄作でも大丈夫。人で売れないけど、楽曲で売れるほどの魅力のある楽曲は意識的に作り続けることはできないので、楽曲で売れた場合は一発屋か数曲売れるのが限界。

デビューから徐々注目されていって、最初のバラードを最大のヒットにして、同時にアルバムを持ってくるのが常套で1サイクルだった。魅力が少ない場合1サイクル後に低迷し始めることが多い。もう一つのサイクルとして10年というのもあった。

人として魅力が十分ならそれで売れるかというと、先ずビジネス側から選択されないとダメで、選択する側が魅力というパラメータを十分に見分けることができないので、そこに運が必要になってしまう。例えば、AとBといて、ビジネス側の意図でAを選択したけど実際はBの方が魅力があったと言うことも往々にある。

売れるかどうかを理論にするのは難しい。ベンチャーから成功した起業と廃業した起業を並べて後付で分析しているようなもの。(過去に起こったことを分析して理論体系にまとめても将来は予測できない)

エンタメ系の商品は人で、それを支える側は製造業とかと同じビジネスロジックが必要。だけど、商品が人なのでゼロから作れないし、魅力的な人を見つける機械はないので、結局人の判断力が頼りになってしまう。

時代の大きな流れとして、嗜好の細分化&意図的な流行が作りづらい時代で、大スターにみんなが声援という感じはなくなってきている。

人となりを知りたいなら、その人の周りの人を見ればいい、は有名な言葉。ということは、時代が求める雰囲気みたいなものは意図的に作ろうとして作れるものではなく、集団が望んだ結果とも考えらえる。

ここまで何かしら正解の曲があるように書いてきたけど、人によってラップが好きとかレゲエが好きとか色々あるので、楽曲の正しさというのは存在しない。